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校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.131

公開日
2020/07/18
更新日
2020/07/18

校長室より

No.131【王妃とフェイクニュース】

かつて授業でフランス革命を教える際に
私が必ず取り上げたエピソードがある。

それは王妃マリー・アントワネットの言葉
「パンが無ければケーキを食べればいいのよ」

18世紀末、多くのフランス国民は
経済的に苦しい生活を強いられていた。
その日の食事もままならない中で
「パンをよこせ」と反体制の声が上がる。
その話を聞いたフランス王妃が
つぶやいた言葉とされていた。
いかに王妃が無知で贅沢(ぜいたく)だったかを
わかりやすく表現した言葉として、
私が教えた当時の生徒たちも
興味をもって聞いていた事を記憶している。

しかし、しばらくして
王妃がその言葉をつぶやいた事実はなく
王妃のイメージを貶(おとし)めるために
悪用されたものだということがわかった。

私は歴史的事実ではないことを
生徒たちに教えていたことになる。

🍰

なぜ王妃は貶められなければならなかったのか?

1789年、民衆の暴動が革命へと発展して
ついにフランス王制が打倒される。
逮捕された国王一家。
その後、夫である国王は処刑され、
最愛の息子も連れ去られてしまう。

しかし革命は成功したわけではない。
急激な変化に国内はさらに混乱し、
その混乱に乗じて
近隣諸国が国境へと迫ってきていた。
人民はその不安と怒りを
今度は革命政府へと向けたのだ。

人民の怒りの矛先(ほこさき)を
自分たちではなく王妃に向けるため
革命政府は王妃を「悪役」として利用した。
俗悪な新聞は王妃の事を
「冷酷」「邪悪」と非難し、
行われた裁判自体が
初めから結論ありきのものだった。
今で言うフェイクニュースが
証拠として法廷で取り上げられていった。
王妃を弁護する者は逮捕され、
フランス中を敵にまわした裁判で
それでも王妃は毅然(きぜん)とした姿勢で
被告席に立ち続けたのだ。

自らの潔白を訴え続ける王妃の声は
全くと言っていいほど無視され、
1793年10月15日、死刑判決が下される。
そして判決の出た翌日に、
肥桶(こえおけ)の荷車に乗せられ
後ろ手に縛られた王妃は
処刑台へと運ばれて行った。

夫を失い、息子を失い
そして自らの死を前にして
処刑台へと向かう彼女の姿は
それでもなお気品に満ちていたと
後世に語り継がれている。

(7月14日 フランス革命記念日)

《参考》
フランスZED制作ドキュメンタリー番組
『マリー・アントワネット 最後の日々』