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校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.153

公開日
2020/12/12
更新日
2020/12/12

校長室より

No.153【事実を解釈する】

大河ドラマが間もなく
クライマックスを迎える。
これまで繰り返し描かれてきた
戦国時代の武将たち。
歴史の事実は一つしかない。
それでもどの武将に
焦点を当てるかによって
ストーリーは全く変わってしまう。

また一人の武将を
恐ろしい人物としても描ければ
気の弱い人物としても描ける。
つまりはどう解釈するかなのだ。

最近はあの『三國志』までもが
コメディとして生まれ変わった。
さらにはタイトルにまで堂々と
「新解釈」と付けている。


「事実などない、
あるのは解釈だけだ」(ニーチェ)

⚔️

あるニュース映像が残っている。

1943年10月21日
明治神宮外苑競技場。
降りしきる雨の中を
学生たちが行進する映像。

学徒出陣。

1941年12月8日、日米開戦。
その戦局の悪化により
学問をするべき学生たちまでもが
戦地へと赴(おもむ)くことになる。

堂々と行進する学生たちの姿。
観客席の人々は拍手で彼らを見送る。
日本の勝利を信じて疑わない、
戦意高揚のためのニュース映像。

しかしその映像の中に
勇ましさとは趣を異にするシーンが
一瞬だけ現れる。

それは東条英機首相の演説の途中。
カメラは突然一人の学生の
後ろ姿をアップでとらえる。
雨と泥にまみれた学生の背中。
無言で演説を聞くその背中の汚れを
これから学生がたどるであろう
過酷な運命の暗示として解釈すると
ニュース映像の印象は
「戦意高揚」から
「悲愴感」へと一変してしまう。

🎥

日々流される膨大なニュースにも
それを伝える誰かの解釈が入る。
私たちはその誰かの解釈を
事実として受け止めている。
感染症に関するニュースでも
キャスターやコメンテーターが
どう解釈して話すかにより
ニュースが全く変わってくる。

報道されたニュースと
報道されなかったニュース。
報道されなかったニュースは
存在しなかったも同じだ。
どのニュースを報道するのか
それを選ぶのもまた誰かなのである。