学校日記

いざ鎌倉!?

公開日
2025/09/25
更新日
2025/09/25

校長室より

今日の午前中、淡島通りを西に行った若林の総合教育センターに行ってきました。

タブレットを持っていたのでその道すがら1枚目の写真を撮りました。「鎌倉通り」。淡島通りのサミットを過ぎて次の信号のところの道です。いろいろな説があるようですが、鎌倉に向かう鎌倉街道が区内を通っており、その枝道ではないかとも言われているようです。6年生が社会科で歴史の学習をしていますが、身近なところにも歴史と関係ありそうなものが潜んでいます。ちなみに通り名の標識ですが、両側が尖っているものは通りの途中、この写真のように片側が平らなものはここが起点ということを表しています。ですから、この写真の標識は向かって右側が起点、左側に続いていくということを表しています。

また、多聞小学校の西側の地域の住所は「太子堂」。これは、円泉寺が「南北朝時代に奈良の久米寺から聖徳太子像と十一面観音像を背負って布教のために訪れていた賢恵が当地で一泊した際、夢に現れた聖徳太子が、当時は霊泉が湧き出ていたこの地で祀られることを望んだため、堂宇を建てたという」説があることからついた地名のようです。茶沢通りには写真のような碑が、円泉寺の前にも聖徳太子の碑が建てられています。

そして、多聞小学校。戦国時代、学校がある場所あたりに「三宿城」があったとも言われています。当時世田谷城(豪徳寺のすぐそば)主の吉良氏が築いたとされています。

少し涼しくなってきました。地域を歴史散歩してみるのも楽しいかもしれません。意外と面白い「歴史」が発見できるかもしれません。